本日は2021年5月4日。寝釈迦を回った後に桐生駅近くで一泊。翌日の朝配布された朝食を見てどこのホテルに宿泊したのかがバレそう(東横インですが)。
当初は別の山行を計画していたのですが、予想よりも筋肉痛として残っていたため、方針を転換して普通の観光を行うことに。良い時間に桐生始発の電車があったので・・ということは、
空っぽの車内をゲット。
高崎界隈はかなりの頻度でウロウロしていますが、今回もですw
向こうに停車中は水上行きのですが、今回はJR区間はここで下車。
上信電鉄に乗り換えます。
えーっと、改札は・・あんな先に^^; JRから隔離された場所に地方私鉄の改札があるのはアルアルとはいえ、利便性向上で近づけられないものでしょうか・・。
単線のホームの先端にはだるまを持った鉄道娘を発見です。ストレートに富岡製糸場を連想するお名前となっております。
ま、今回の行き先もその製糸場なのですが、乗車した電車を見送り、
2面三線の駅を眺めた後、出場して
駅前はこんな感じ。ガソリンスタンドの跡地・・・じゃないよね。
駅からは行き方としては何パターンかあるのですが、オーソドックスに案内に従って進むこととしましょう。
ご当地マンホールです。製糸場・・には見えませんが、製糸場が文化登録されたのが2014年と比較的最近なので、旧タイプなのかもしれません。ただ、下仁田ネギにも見えないし・・はてさて。
所々で見かける景観配慮のコンビニですが、こちらではローソンが黒くなっていました。
製糸場まであと220mの看板。
駅から10分ほどで製糸場に到着です。入り口で入場券を購入します。
正面にあるレンガ造りの建物ですが、
建物の名前ではなく、建てられた年が掲げられていました。
一応、順路というものがありまして、その順に沿って行き、操糸工場と書かれたドアを潜ると、
操糸工場の様子がパネル説明とともに展示されていました。
操糸工場を行き来する廊下を進むのですが、扉の高さが低く、頭をぶつけそうになります。当時の従業員の体格に合わせたものではありますが、その違いも歴史なんでしょうね。
製糸場の端っこにやってきました。すぐそばには川が流れていますが、思いのほか高台にありました。
こちらは”寮”となります。32室、1室15畳で最大12人。詰め込みが当たり前だった時代ですので。
こちらは監督していたフランス人用の宿舎区画です。のちには多目的スペースとして従業員の福利厚生的な役割も果たしたのだとか。
再び長いレンガの建物に戻ってきました。2階部分も少しだけ覗くことができます。今だと楽曲のPVとしても使えそうな味のある空間ですが、置繭所として”糸の原料”が保管されていました。
こちらも置繭所の2か所目となります。1Fはきれいに整備されて展示館のような感じになっていましたが、その柱をよーく見ると、
柱がメモ帳のように使用されていました。計算もこちらで・・のようで。
1Fと2Fの行き来はどうやって?かというと、モノはエレベーターを使用。
1Fにエレベーターのゴンドラと台車が展示されていました。
こちらには2Fに廊下が設置されていましたので、その様子を。ただ、老化しているので、通行止めでしたが。
工場の中央には貯水等やらこまごまとした設備も。やっぱり近づけませんが。
敷地の脇の方には普通の住宅が何件か。役職者用の社宅のようで、やっぱり一軒家がステータスなんでしょうね。
繭の餌となる桑の葉も栽培されていました。
滞在時間は1時間30分ほどでした。あとの予定が無ければもう少し居ても良かったのかも。
富岡駅に帰ってきました。