(ウォーキングC77-3)
名神高速道路沿いの盛土沿いに進み、秘密の入り口風な交差点を少し登ると松尾山頂から約30分で西軍 脇坂安治陣地跡(兵力1000)に到着です。兵力も陣地も地味なのか、案内板まで地味でした。
再び名神高速道路と東海道新幹線を跨いで先に進みます。この辺、意外と高架、高いとことにあるんですね。
ここは「矢じりの池」ということで、文字通り、水を求めて矢じりで井戸を掘ったことが由来のようです。掘られた時期は・・・672年・・・関ケ原の戦いの1000年近く前ですか。時空が飛び回ってますね^^;
で、肝心な水はというと・・今はありませんでした。一応、石で囲っているということで、湧き出たころもあったのでしょう。
次の陣地跡に向かう際に交通量の多い道路も横切っていくのですが、あ、こんにちわ「東海自然歩道」さん。こんなところにもお出ましでしたか。
次の陣地跡である大谷吉継の看板です。デカデカとあるのですが車ではアクセスできないという^^;何故って?
東海道線を隔てた森の中に陣地がありまして。で、そこに行くには、
階段&踏切を通過する必要があるんです。
折角なので、踏切の上から東海道線の様子を。名古屋方向はこんな感じです。
踏切はこんな感じで歩行者専用となっています。知らないと関ケ原合戦の陣地跡へのアクセス踏切とはだれも分かりませんね。
踏切を渡ってすぐにある神社の横を通り過ぎていき、
整備された道を進んでいくと、脇坂安治陣地跡から約25分で
大谷吉継陣地跡に到着です。ここから小早川秀秋の陣地も見ることができますが、最終的にはその大群がここを襲ってきたんですよね。ここにはベンチもありますので、下をとおる現代文明の一つである東海道線を見ながら休憩もすることができます。
陣地跡を示す看板もパシャリ。
ここから更に奥に進んでいきます。ちなみに大谷吉継はどうなったかというと・・ま、裏切られた1万以上の軍勢に襲われたわけですから、
こうなりました。負けた側のしかも陣地跡にお墓があるのはある程度厚遇されていたのでしょうか。色んな意味で抹消されてもおかしくはありませんからね。
今でもお花が供えられております。訪れた前日には町を挙げての「合戦イベント」が行われていましたので、その一環かもしれません。
ここにもベンチがありましたので、水分補給のために一休み。
更に林の中を突き進んでいきます。周囲見渡しても木しか見えません・・。
本日の気象条件はこんな感じ。しっかりと歩くという意味では少し蒸し暑い感じでしょうか。
林を突き抜けた先には立派な道路がありました。この道に沿ってしばらく進んでいきます。方向は・・北西だったな。
当時は美濃国でしたが、今では岐阜県となっております。
道沿いを進んで少しすると看板とともに脇に逸れる方向で看板が建っていました。そのハイキング道のような道を進むと、
ダムが登場です。その堰堤の上を通過していきます。
下流側はこんな感じ。
上流側はこんな感じです。まぁ、よくある川と山の光景です^^;
ダムの反対側に出るとそのダムの管理道(?)沿いにしばらく進むことになります。
そして、次の陣地跡に到着です。