(ウォーキングC77-5)
ここは岡山狼煙場ということですが、黒田長政(MVPオブザバトル・・で筑前国に52万石ほどが与えられた)と竹中重門(竹中半兵衛の嫡男)の陣地跡でもありました。
ここからも戦場の様子が良く分かる場所で、より地表に近いことから即応性もありそうです。
この正面には松尾山の山頂で旗を見ることもできます。見晴らしの良い場所が東軍に抑えられていたということは裏切りもありますが、元々不利な陣形だったのかも?
先を進みます。少し下ったところに小さいですが金毘羅神社・・・関ケ原の戦いのときに本家金毘羅神社から持参した仏像が祭られたことが始まりなのだとか。
目がおかしくなりそうですが竹の道のヘアピンカーブ。
下りきった交差点にはこのように案内板があります。ここも東海自然歩道の一部でしたか。
下から見上げた狼煙場です。周囲は何もありません。当時あったのは武将の視線だけ・・かな。
山の縁に沿う区間は終了、住宅地に入っていきます。
その住宅地の中、ポツンとある公園が陣地跡だったりするのがこの土地の特徴です。細川忠興(家康に”石”に釣られて東側の一員に。でその後は小倉藩の初代藩主)の陣地跡です。
跡地なので、目立ったものは無いので仕方がないのですが、祠とかなく、なので、旗を見落とすとただの広場で見落としますね。
カラーのマンホールがあったので一枚。植物の絵が多い中、兜が。
徳川家康の陣地跡(後半)に向かう途中にテント村が。前日までのイベントの後片付け中の様子のようです。
町立の歴史民俗資料館の横を通過すると
徳川家康の陣地跡(後半)に到着です。
周囲が木々に囲まれて分かりづらい&大回りしたたため距離感がズレているのですが、ここは石田三成の陣地まで直線距離でわずか1㎞の距離。早歩きでも10分もあれば衝突出来るくらいに超至近距離だったりします。
その近くにあるのが床几場。戦後、”戦利品”である打ち首を褒美の判断材料とするために徳川家康が鑑定する場でした。
・・と徳川家康の登場でこの場所では影が薄くなったのが田中吉政。
床几場にて謁見された首は東西それぞれの首塚に埋葬され、駅の近くには東首塚があります。何気に歩いているその場所の下には首が埋葬されているかも?
で、ここは松平忠吉(戦後、清州52万石。実は一番近所な武将?)、井伊直政(彦根駅前に威勢のいい銅像が建てられている)の陣地跡でもありました。
そのすぐ横にある、駅の上に掛かる橋の名前は・・「跨線橋」ではなく「古戦橋」。
橋を渡った後は線路沿いの道を進むと関ケ原駅へ帰還です。
ルート図と高低差はこんな感じ。何か所か迷子になっている形跡が見えますが、気にしないw。これで主要な場所は回っているはずで、行っていない場所があるとるれば徳川家康の最初の陣地跡(駅から線路沿いに数km東に進んだ場所にある)位かと思います。
簡易表はこんな感じ。
出発 | 関ケ原駅(124m) |
到着
|
関ケ原駅(124m) |
経由 | ― | ||
歩数 | 21,922 |
距離
|
15.5km(GPS) |
時間 |
4:49 (8:32-13:21) |
日付
|
2019.10.21 |
最高点 |
松尾山(293m) |
傾斜
|
約65m/km |