(ウォーキングC47)
※ブログ全体の記事数の整理のため、分割していた本編の記事を一つにまとめ、再投稿するものです。写真67枚。
↓ショートVer
本日は2018年11月10日。出発地に向けて新快速電車に乗り込みます。
大阪駅を出発して137kmを乗り換え無し、2時間ほど掛けて目的地の駅である北陸線余呉駅に到着です。
JR西日本ではここも日帰り圏内ということで、券売機では買えない距離なくせして「当日限り有効」な切符になってしまいます。実は帰りも同じ2270円区間なのに2日間有効なので納得できませんw
まずは駅の様子からです。正面にこれからの目的地である賤ヶ岳と余呉湖が見えます。
反対方向はこんな感じ。田園風景しかありません。
ホームから敦賀方面を見た写真になります。一応複線ですが、ローカル臭がプンプン・・
・・って電車が来るのが1時間に1本だけなので、ローカル線ですね。帰りに駅で55分待ちとか、悲惨なことにならないように電車の時刻を記録。
ホームから敦賀方面をもう一枚。ススキを多めに入れてみました。
構内踏切からの一枚です。敦賀方向を一枚、
米原方面を一枚。
駅舎を出ます。ローカル線の駅らしい寂しい駅舎です。
ここで、準備運動をしつつ、出発していきます。
では駅前を出発して進んでいきましょう。まずは駅前通りを真っ直ぐ進んで突き当たりを左に。
交差点付近からの一枚。こっちの方角から帰ってくるはずです。
道沿いにしばらく進むと賤ヶ岳のぼり口の看板を発見。看板を追いかけます。
この細り路地を登ったところからが登山道のスタートのようです。普通の生活道路と違わないので、看板が無ければ確実に迷子ですね。
少し高度を上げていきます。
するとようやく登山道らしい道になってきました。道幅はとても広く、快適に歩くことが出来ます。
分岐も所々ありますが、都度看板のあるので、迷うことも無いかと思います。
ただ、台風の爪痕はここでもたくさん見ることが出来、頂上に近づくにつれて酷くなっていっていました。
廃道でしょうか?整備がされているとは思えない道もこのコースの一部でした。
このまま道沿いにしばらく・・と思っていたら登山道は別の方角を指名していました。
進んでいくと、看板と共に分岐が現れます。墓方向に分岐を進んで行くことにしました。
余呉駅を出発して30分強で中川清秀の墓所にやってきました。
そう、この一体は1583年、羽柴秀吉と柴田勝家とが戦った「賤ヶ岳の戦い」の戦場となる場所になります。そして、この戦いでの柴田勝家の行く末がここになるわけです。ここでは中川清秀が秀吉側の将として陣を構えていましたが(佐久間盛政の軍勢によって全滅)、こんな感じで、小さいながら陣が張れるような平地でした(平地にしたのか最初から平地だったのかは分かりませんが)。
この場を後にして進んできます。このコース、所々で賤ヶ岳の戦い時にゆかりのある場所が出てきます。例えば首洗い場という中川清秀の遺体の首を洗った場所とか。
行ってみようとしましたが、荒れ放題&その池が見当たらなかったため撤退。
ここでは中川清秀軍に勝利した佐久間盛政軍を追走するため、羽柴秀吉が陣を張った場所ということで、猿ヶ馬場なる名前がついていたり。
でそのときの陣の跡地?としてちょっとだけですが広場風になっていました。
あの戦いから400年以上立っていますので、当時はここからどんな景色が見えていたのでしょうか。木々は無く開けて視界良好だったのか、今と同じく茂った木々の中だったのか。
頂上に近づくに連れて道の状態が徐々に悪化。通れるように整備はされていますが、台風被害の爪痕は相当残っています。
その中でわずかながらに見つけた苔の様子です。うーん、上手く撮れてないw
わずかに顔を覗かせる余呉湖を背景に標をパシャリ。
このあともしばらくは木々と処理された倒木の間を進んでいきます。
中身が無くなった倒木の様子です。中が空いているので、椅子にもならないという。
道中、傾斜はさほどキツくはありませんでしたが、頂上への最終アプローチと言うことでラストスパートといわんばかりの坂を登り、
中川清秀の墓所から40分ほどで賤ヶ岳の山頂に到着です。
ま、山頂に行くだけであれば、リフトなんかもあったりするんですけどね。余呉駅から見れば賤ヶ岳を挟んだ山の反対側ですが。
無事、賤ヶ岳の山頂に到着です。しばらく山頂散策をしますが、思いの外面白い場所でした。360°パノラマとまでは行きませんが、余呉湖側とその反対側で全く違う景色が広がっているのが外の山の山頂と大きく異なる点でしょうか。とにもかくにも下から登ってきたので三角点ということで、立派な看板と共に三角点をパシャリ。
山頂には賤ヶ岳の戦いを象徴するように、像がありました。えーっと誰の像だったっけ^^;
今度は色づいた葉を手前にして余呉湖を中央にして一枚パシャリ。
賤ヶ嶽と書かれた石柱と何かの碑です(歴史に興味が無いのがバレバレです><)。
で、余呉湖の反対側に見えるのが・・琵琶湖だったりするわけです。山頂の両サイドで違う湖が見える山は中々多くは無いかと思います。
琵琶湖と湖東の平野部を半々にして一枚。中央の山々へと通じるハイキング道もあるようで、案内看板もありましたが、今回は余呉湖周遊が目的なので又別の機会に。
もう少し上にカメラを振ってみました。太陽がまぶしく照らしてくれています。
もう少しカメラを左・・・東方向に振ってみます。明日登頂する山が正面に見えました。
こちらは山の南西方向です。七本槍古戦場賤ヶ嶽と木柱に彫り込まれていました。
再び余呉湖方向を何枚か。丁度特急電車「しらさぎ号」が余呉駅付近を通過中でしたので一枚。
ススキを主役にし、余呉湖を背景にして一枚。ということで、かなり山頂を満喫しています。
この日はボランティアが山頂で賤ヶ岳の戦いについての説明を説明板と共に行っていました。説明は聞いていませんでしたが、陣形が書かれたパネルはパシャリ。
余呉駅の電車の時間から逆算して、ぼちぼち下っていきます。結局昼食休憩と合わせて40分ほど滞在していました。では賤ヶ岳山頂を出発しましょう。下りは上りとは異なる道で進みます。
逆光ですが、ここからでも琵琶湖の大きさを堪能することが出来ます。伊豆半島から見た太平洋・・と言っても信じてもらえるかも?
道を進みます。行きと同じ高低差を約半分の距離で下るので、傾斜はややきつめ。
飯浦越えの切り通しで分岐しますが、余呉湖方面に進みます。
登りとはまた違う景色でした。
傾斜はやはり登りと比べるとやや急な感じです。ただ、ぬかるんでいるとかそういうことは無いので、スイスイと降りることが出来ます。
ということで、登山道を降りきった先には車道と・・・
一面の余呉湖が眼下に広がります。ここからは車道沿いに余呉湖を時計回りにほぼ半周していきます。
道自体は普通の道です。所々歩道もありますが、途切れ途切れなので、イマイチ・・。
対岸を覗きます。数時間前はあの山のどこかを通過していたはずです。
1/4周くらいでしょうか。余呉駅周辺の集落がだんだんと大きくなってきました。
途中には守り石(?)がありましたのでパシャリ。
余呉のオリジナルマンホールです。
余呉駅への案内板を発見。そのまま車道沿いでも良さそうなんですが、
道標に従うと直線的な道になってややショートカットになります。
集落を抜けると北陸本線との踏切にやってきます。その踏切の中央付近から敦賀方向を見た一枚。
余呉駅方向を見た一枚になります。電車も写れば良い絵になりそうなのですが、残念ながらここは踏切内ですので、電車接近時は立ち入り禁止です。
再び素の道に戻り、駅に向かって進んでいきます。すると衣を纏った天女像が建っていました。羽衣伝説があったとか無かったとか・・。
いよいよゴールである余呉駅が見えてきました。
ということで、余呉湖周回コースはこれで終了になります。大阪駅から乗り換えなしで1本。サクッと回れて歴史と大小の湖が望める山頂に湖畔散策と意外と見所が多いコースでした。
コースと高低マップ、
表になります。
出発 | 余呉駅(141m) |
到着
|
余呉駅(141m) |
経由 | 余呉湖賤ヶ岳山本山歩道~余呉湖周回同 | ||
歩数 | 14,424 |
距離
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9.7km(GPS) |
時間 | 3:11 (10:44-13:55) |
日付
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2018.11.10 |
最高点 | 賤ヶ岳山頂(421m) |
最低点
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